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東京地方裁判所 昭和24年(行)45号 判決

原告

寄田龍夫

被告

右代表者

法務総裁

主文

原告が日本の國籍を有しないことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文第一項と同旨の判決を求め、その請求原因として、原告は明治四十五年(一九一二年)二月二十日北米合衆国ワシントン州において日本人寄田美之介の四男として生れ同国の国籍を取得すると共に日本国籍を留保し日米両国籍をもつに至つたが、同国に住所を有した昭和七年四月十五日当時志望により日本の国籍を離脱した。その後昭和十五年(一九四〇年)三月日本に渡来し東京に居住していたが、太平洋戦争がぼつ発したため日本国内における反米感情のし烈化するに従い米国籍を有する原告に対する警察、憲兵の監視は厳重となりことに昭和十七年秋頃よりたびたび原告を警察に呼び出し留置して精神上重大なる威圧を加え、また毎週二囘程警察官、憲兵が原告宅を訪れ国籍囘復をなさなければ財産の没收をおこなうといつて国籍囘復を迫つたので、戦争初期までに資産を凍結されていた原告はこの上更に財産を没收、あるいは当時うわさされていた食糧配給停止等の手段をとられるならばその結果完全に生存の方途を失うに至ることをおそれ、恐怖のあまり意思の自由を失い強制されるまゝに同年十月二十日内務大臣に対し日本国籍囘復の申請をし昭和十八年四月九日その許可があり、戸籍吏に対するその旨の届出により戸籍簿に東京都世田ケ谷区若林町四百六十三番地を本籍として原告のため一家創立の記載がなされた。しかしながら右申請は前述の如く官憲の圧迫により意思の自由を失つた際になされたものであるから当然に無効であり仮にそうでないとしても強迫によるものであるから本件訴状の送達により取消の意思表示をする、従つて民法の規定の類推適用により申請は初めより無効であつたことゝなり無効の申請に対してなされた内務大臣の国籍囘復の許可もまた無効に帰するから原告は日本の国籍を有するものではない。よつてその確認を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べ被告の主張を否認し、立証として甲第一ないし四号証を提出し、証人坂口栄一郞の証言ならびに原告本人尋問の結果を援用した。

被告指定代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として、原告が明治四十五年二月二十日北米合衆国ワシントン州において生れ日米両国籍を取得したこと、昭和七年四月十五日原告の志望により日本国籍を離脱したこと、昭和十五年三月原告が日本に渡来し東京に在住中太平洋戦争ぼつ発したこと及び昭和十七年十月二十日原告が内務大臣に対し日本国籍囘復を申請し昭和十八年四月九日その許可があり原告主張の如く戸籍簿上に一家創立の記載がなされたことは認めるが、その他は否認すると述べ国籍囘復の申請が当然無効となるのは本人の意思に基かず第三者が無断でなした場合又は意思の自由を完全に喪失してなされた場合であつて本件の如く原告自らの意思に基いて申請した場合は当然無効ではない仮にそれが強迫に因るものであるとしても行政庁に対する公法上の意思表示であるから行政庁がこれを受理しこれに対応する行政行為がなされた後においては行政行為の公定力に基きもはやその意思表示は取り消すことができない従つて国籍囘復の許可は有効であると主張し甲第一ないし四号証の成立を認めた。

理由

原告が明治四十五年二月二十日北米合衆國ワシントン州において出生し日米両國籍を取得したこと、昭和七年四月十五日原告が同國に住所を有した。当時日本の國籍を離脱したこと、昭和十五年三月原告が日本に渡來し東京に在住中太平洋戰爭がぼつ発したこと及び昭和十七年十月二十日原告が内務大臣に対し日本國籍取得の申請をし昭和十八年四月九日その許可があり戸籍簿上日本國籍を有するものとして記載されていることは当事者間に爭がない。原告は右申請が官憲の圧迫により意思の自由喪失の際なされたものであると主張するのでこの点につき審究すると証人坂口栄一郞の証言、原告本人尋問の結果並びに成立に爭のない甲第四号証をそう合すれば、太平洋戰爭ぼつ発後國内における一般の反米感情が熾烈化するに從い米國籍を有する原告に対する近隣の人々の態度は冷淡となり原告を白眼視し、開戰直後すでに原告の資産は凍結され且つ原告の働いていた義兄経営のレストランも國民酒場に変更されたため收入もなくなり日本の國籍を有しないために他に就職することもできず、その上食糧の配給も停止されるとのうわさが流布し原告は日常生活に多大の不安を覚えるようになり警察、憲兵は始終原告の行動を監視して度々取調留置をなし、原告の旅行を制限する等圧迫を加え、そして「外國人は就職できなくなり將來は家から外へ出ることも許されぬであろうから早く國籍を回復せよ」とかあるいは「國籍を回復しないならば生命の危險も生ずるであろう」と言つて原告に國籍回復を迫つたため、かねて結婚するに当つても米國籍に影響することをおそれて日本在住の二世婦人を妻に選んだほどで原告もその圧迫に抗しかねて遂に國籍回復の申請をなすに至つた事実が認められるが、しかし右の程度をもつてはいまだ原告がその意思の自由を完全に失つたものと認めるには足りず從つて右國籍回復の申請が当然無効であるとはいえない。しかしそれが官憲の圧迫によることは明白である。そこで、この申請が強迫に因る意思表示として取り消し得るか否かにつき考究すると國籍回復は國がその一方的意思により單独に成立せしめ得る関係ではなく國及び私人双方の合意を要件として成立するものであるから、一方の意思表示にかしがある場合はこれを取り消し得ると解するのが正当であり、その限りにおいて私法の規定が類推適用されるべきである。從つて後に國籍回復申請者が意思表示にかしありとして申請を取り消せば、その申請は初めから無効であつたことゝなり、無効の申請を前提としてなされた國籍回復の許可はその成立の基礎を失い無効に帰することゝなる。被告は行政行爲の公定力により國籍回復の許可は無効とならぬと主張するが公定力は有効に成立した行政行爲についてのみいいうることであつて、無効の行政行爲は外形上存在しても法律上何らの効果をも発生しないのであるから、初めから公定力の生ずる余地がない。被告の主張はこれを排斥する。原告は本件訴状の発達により前記申請を取り消したのであるからそれは初めから無効であつたことゝなり、それに対する内務大臣の許可もまた無効であるから原告は日本國籍を回復しなかつたことゝなる。なお、原告は昭和二十一年四月以來たえず帰米を念願し、その手続をとつて來たが、日本の國籍を有するため目的を達することを得ず、昭和二十四年一月に至り初めて裁判手続による國籍不存在の確定を必要とすることを知り本訴に及んだものであり、その間帰米の希望を捨てるところが全くなかつた関係上昭和二十二年十月には妻子をさきに帰米せしめかつ日本國民としての権利を行使することにより米國籍の回復を不能とすることを慮つて数次の選挙にも棄権して投票しなかつたことは、原告本人の尋問の結果により認められるから、原告は戰爭中受けていた圧迫が消え去つた後、前記國籍回復の申請を追認し又は國籍回復が有効であることを前提として権利を行使していたものでないことは明白である。ところで原告は現に形式上日本國籍を有するものとして戸籍簿に記載されているのであるから國に対し國籍不存在の確認を求める利益があるものといい得る。

よつて原告の請求は正当なものとしてこれを認容し訴訟費用につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の如く判決する。

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